須賀川特撮アーカイブセンター

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【調査研究活動紹介②】特撮監督 矢島信男氏の直筆絵コンテ資料

【調査研究活動紹介②】特撮監督 矢島信男氏の直筆絵コンテ資料
【現在は本ページで掲載している絵コンテ資料原本およびデジタルデータの一般公開は行っておりません】
東映の映画とテレビ作品を中心にピープロや円谷プロ作品でも特撮に従事し、特撮研究所を設立した特撮監督の矢島信男氏が描いた貴重な絵コンテの数々が、須賀川特撮アーカイブセンターに収蔵されました。
これらの資料は、当センターが参画・協力する「日本特撮アーカイブ」の2023年度の活動で、調査と整理、保存(デジタルデータ化)が実施されました。今回は本事業の概要と成果についてご報告します。

4. 有識者からのコメント

尾上 克郎 氏 (株式会社特撮研究所専務取締役 / 特撮監督)
矢島信男監督は東京物理学校(現東京理科大学)を卒業し、戦後黄金期を迎えた映画界に飛び込みました。特殊撮影のカメラマンを経て多くの映画の特撮監督を担当。その後、活躍の場をテレビに移しますが、映画時代の特撮とはかけ離れた「効率化」の追求、メディアミックス時代への対応という大きな命題と直面し、時代に合わせた特撮のあるべき姿の模索が始まります。そこから編み出された『矢島特撮』とも呼ばれる独特の法則や手法へたどり着いた思考プロセスの一端を今回の調査によって整理された数々のコンテから伺い知ることができました。単純化された`味のある`コンテには、豪放磊落とも言える演出と大胆な構図や激しさを好む反面、理科系らしい緻密な計算と繊細さも感じられます。『矢島特撮』の柔軟性は進化する映像技術との親和性も高く、デジタル時代に対応する現代の特撮の源泉といっても過言ではないでしょう。また、特撮の行く末を常に想い、若手の育成に取り組んでおられた姿勢は尊敬に値するものであり、高く評価されるべき功績でもあります。

 


■矢島 信男(やじま のぶお) 特殊撮影、のちに特撮監督■

1928(昭和3)年生まれ。1949年松竹に入社し、川上景司に師事する。特撮班のキャメラマンとして『君の名は』(1953)、『修禪寺物語』(1955)、『楢山節考』(1958)などの特撮に参加。1959年より東映に移籍し、『高度7000米 恐怖の四時間』(1959)、『宇宙快速船』(1961)、『海軍』(1963)などの映画やテレビ作品を特殊技術・特撮監督として手掛けた。1965年に東映から独立し「株式会社特撮研究所」を設立。その後も円谷プロで仕事をしたことを契機に、多くの人材を東映テレビ作品に起用する一方で、東宝特技スタッフとも長年交流を続け、円谷英二亡き後の日本特撮界のまとめ役を担ってきた。東映での映画作品における代表作は『海底大戦争』(1966)、『宇宙からのメッセージ』(1978)、『真田幸村の謀略』(1979)、『魔界転生』(1981)など。テレビシリーズ作品では『スパイキャッチャーJ3』(1965)、『悪魔くん』(1966)、『キャプテンウルトラ』(1967)、『ジャイアントロボ』(1967)、『妖術武芸帳』(1969)、『スペクトルマン』(1971)、『ミラーマン』(1971)、『人造人間キカイダー』(1972)、『快傑ライオン丸』(1972)、『ウルトラマンタロウ』(1973)、『ロボット刑事』(1973)、『ジャンボーグA』(1973)、『ウルトラマンレオ』(1974)、『がんばれロボコン』(1974)、『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975)、『宇宙鉄人キョーダイン』(1976)、『大鉄人17』(1977)、『ジャッカー電撃隊』(1977)、『スパイダーマン』(1978)、『バトルフィーバーJ』(1979)以降のスーパー戦隊シリーズ、『宇宙刑事ギャバン』(1982)以降のメタルヒーローシリーズ、『仮面ライダーBLACK』(1987)など多数。テレビでは『特捜ロボ ジャンパーソン』(1993)が、映画では『仮面ライダーJ』(1994、佛田洋と共同)が最後の特撮監督作品となった。映画からテレビ番組まで多くの作品の特撮を担当し、東映のみならず、ピープロや円谷プロにおいても矢島演出の大きな足跡を残した。2019 年、91 歳で永眠。

 


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